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印象に残っている仕事、苦労した仕事

こんにちは。イギリス在住会議通訳者の平松里英(rielondon)です。

ロンドンは今が冬本番。偏西風の関係で緯度のわりに暖かいイギリスですが、このところ、零下〜3℃で、昼間の最高気温ですら8℃と、イギリスにも冬将軍が到来しています。

年が明け、すでに2月ですが、新年の抱負は決めていますか? 私は昨年の抱負が3つとも挫折しているので(苦笑)今年はbaby stepsを抱負に取り入れました。

さて、前回は一番楽しかった案件について書きましたので、今回は印象に残っている仕事と苦労した仕事についてお話ししたいと思います。

印象に残る仕事―戦争に関わるトピック

少し前、BBCのピースボートのインタビューを英語に通訳するという仕事が入り、被爆者のインタビューを訳させてもらいました。それから少しして、ノーベル賞が発表になりました。ノーベル平和賞を受賞したのはICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の被爆者サーロー節子さんでした。被爆者インタビュー通訳の仕事をしてからあまり時間が経っていなかったこともあって、サーロー節子さんのコメントに聴き入りながら、感極まるものがありました。

私がいただくお仕事の中で、普段の仕事とはまた違うやりがいを感じる仕事が、テレビやラジオの通訳の仕事です。被爆者インタビューを通訳したBBCの仕事も、連絡があった時点で「今日なんだけど」というものでした。テレビやラジオの仕事(とくにBBCなど)は「今日なんだけど、何時に来られる?」というものがとても多い(というかほとんど)。

被爆者インタビューを通訳したBBCの仕事は、週末、家で次の案件の準備をしていたところに、連絡がありました。トピックを確認し、できると判断。2時間後には現場で作業が始まります。この日は、ディレクター(日本でいうところのデスク)と編集スタッフが編集室に入っており、映像を見ながら訳出。アウトプットが英語なので、スクリプトが上がったら担当記者がボイスオーバーを入れるのかと思っていました。

「君、できそうだね。行ってみようか。」と、急遽英語で私が訳出することになりました。ただ、繰り返し流れる映像でしたので、ぶっつけ本番ではなく、画像(え)に合わせて、ディレクターの指示を何度か仰ぎながら、OKが出るまで数回、声入れをしました。

また、テレビ局以外でも映像に合わせて通訳を入れることもあります。スイスのジュネーブの近くにあるCaux(コー)のマウンテンハウスで毎年開かれる国際会議があり、3年前に、戦後70周年を記念して、8月6日に広島デーのプレゼンテーションとスピーチを通訳させていただきました。この時も、BBCの映像に合わせて、ブースから通訳を入れる場面がありました。

被爆者インタビューのときも、戦争に関するスピーチのときも、どちらも話題が話題ですから感情が高ぶってしまいます。でもそのままでは、のどが詰まってしまって、聞き手の耳障りになってしまいます。そうならないよう、呼吸に注意を払い、息を整えてから臨みました。

苦労した仕事―マナーや習慣、文化の違いでの苦労

通訳者はみんな、苦労話には事欠かないのではないでしょうか。苦労と一口に言っても、いろいろありますが、国籍や言葉の異なる人たちの間に立つ通訳者として、文化というか、マナーやエチケットの感覚的な違いの面で生じる苦労は多いのではないでしょうか。

たとえばある調査案件の通訳をしたときのこと、日本から来た担当者と会場に向かいました。政府関係者が部屋に通してくれたのですが、その日本人担当者は、椅子に腰かけるや否や、調査の趣旨を説明し始めました。
私は内心「この入り方はまずいのでは?」と思っていました。そう感じつつ、通訳のメモを取っていると、イギリス人担当者は、日本人担当者の説明が終わるのを待ってすかさず「まず、お互いの自己紹介からしますから。それと、飲み物は、お茶、コーヒー、お水があります。いかがですか」と言いました。「制した」と言った方がふさわしいかも知れません。

日本人の担当者は一瞬キョトンとしていましたが、「郷に入っては郷に従え」とでも言いましょうか、相手方と最初に呼吸を合わせることは、そのあとの話の流れ・運びにも響くものなので、大事だと思います。
呼吸を合わせる努力を怠る様子を見ると(場の雰囲気が変わってしまうので通訳者にはその時点ではもうどうにもできないので)もったいないなと、フラストレーションを禁じ得ないことがあります。

元の発言内容には通訳者は責任を負いませんが、せっかく遠くからわざわざやってきたのに、ちょっとしたマナーが異なり、そのマナーをその国の人に合わせることができなかったことで、rapport感情的親密さ、ラポール)が構築されず、機会が最大限に活かされずに終わってしまうと残念でなりません。これは心苦しいのです。自分のせいではないものの、敗北感がぬぐえないのです。

また、イギリスで通訳をしていると、特有の問題もあります。イギリス人は他の英語圏の人と比べると、物言いが婉曲。個人差はあるものの、直接的な表現を嫌う傾向がありますから、通訳を入れなくてもよいような場面での英語でのやりとりを見ていても、日本人側が、イギリス人側の発言の意図を汲み取れていないな、と感じることがあります。

いつだったか、日本のテレビでパックン(パトリック・ハーラン氏)が「英語には本音と建て前なんてない」と言っていたのを聞いたことがありますが、イギリスにはあります。日本よりも、その傾向は強いのではないかと思います。日本でも地方によって、社会的階層によって、そして個人差もあると思いますが、イギリスでも地域や階級などによって、一様ではありません。

いずれにせよ、海外に出ると、「(自分の国とは)文化や習慣が違う」という事実を頭ではわかっていても、その違いを理解したうえで、正しい行動をとるのは簡単なことではありません。また、海外でビジネスをする際に私達のような通訳者に依頼をしてくださる方も、悪気はなくても、なれない異国で見当違いなことをしてしまい、本筋の言葉以外のちょっとした認識のズレ、ちょっとしたマナーの違いといった、言葉以外の所で人間性を判断されてしまうようなこともあります。そういうことが生じないように、通訳者としてフォローできたらいいとは思うのですが、それはとても難しいことでもあります。

以前、ある仕事で、参加者のなかにドイツ人のグループがいて、休憩時間に彼らと談笑したのですが、上手な英語を話していました。しかし、独英の通訳者をつけていたのです。そこで、ドイツ人の通訳者に思い切って訊いてみました。通訳者の立場でこんなことを訊くのはどうかと思ったのだけれど、あなたのお客さんたちは結構英語が上手なのになぜ通訳者を雇っているのか、と。
通訳者曰く「自分は在英歴が長い。ドイツ人は自分たちが知らず知らずのうちに無礼をしてしまうことがあること、それが文化の違いだということを知っている。だから、自分が通訳をするときにも、適宜、足して(ドイツ語の方がぶっきらぼうになりがちらしい)文化的に失礼のないように発言=通訳してほしい、と依頼されている」と。その時の衝撃と言ったらありません。すばらしい、うらやましい、その一言に尽きる思いでした。

通訳の依頼主がこのドイツ人グループのような人たちばかりだったら、通訳者はやりやすくなるでしょうが、こういう例はごく稀です。異文化交流は言葉だけではないこと、言葉以外のところで人間を判断されていることを、通訳を依頼する側も認識してくれていたらいいのですが、その点は忘れられがちなのです。それが通訳者にとってやりにくさ、つまりは苦労につながることが多いのです。

 

(この記事は通翻WEBに「第9回 印象に残っている仕事と苦労した仕事」として掲載されたものです。)

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