こんにちは。イギリス在住会議通訳者の平松里英(rielondon)です。
英語学習のほんとうに大切な事
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英語を勉強するのはなんのため?
英語教育、英語教育…〇日で英会話をマスターとか〇〇メソッドで英語をマスターとか…。
本当にここ数十年毎日耳にしてきた。世間が騒がしくても、全く気にも留めませんでした。
そして時代も変わり、今度はAIが発達して外国語学習の必要がなくなると。外国語学習するのには時間がかかる。人間よりも機械の方が効率が良いし速い。その通りだと思う。AIに「通じやすい」話し方を習得するほうが速い。そうでしょうねぇ。そりゃ自分も慣れんといかんな、と。
時に、ひとつ・・・
「あれれ?」重要なことがすっぽり抜け落ちているのでは?
外国語を習得すると何が違うのか。
「世界が広がる」ってよく言われるけれど、どういうことかというと、
世界が増えるんですよ。
Universeが多層になる。
その言語を話す人たちの発想がいかに自分の母語と異なるか。
「へぇ!そんな考え方があるんだ!」と、すぐに感動できる(=良さがわかる)こともあれば、
「へ?」(=なんでそうなるの?)ということもあるし、
「え゛それって変じゃない⁉︎」(=その意見には反対だな、どうやったら前向きに伝えられるかな)など。
それが、異文化理解(良さがわかる、楽しさがわかる、違いがわかるという意味で)になる。異文化理解を通して人間の深さが増す。
人としてもっと自由になるんです。「アハ」現象が増える。人生を様々な角度から見られる。悩みのちっぽけさに気づける(自分を救う)。
TOEICの点数よりも、こういうことが大切なんです。
外国語学習は、TOEICの点数よりも
「いろんな生き方があることを人と出会うことを通して知り、自分が解放されて生きやすくなる」
とか
「この国には日本では当たり前の〇〇がない!じゃあ、こうやったら〇〇できるんじゃないか。これなら自分でもできるぞ!」
と発見するとか、そういうことが大切なんです。
英語コーチングを主催されている Emiさんも、ご自身のブログの「資格依存」という記事で書かれていますが、
外国語は、資格を取ったぐらいでできるほど簡単じゃない。
ナメてもらっちゃ困る。
そう。資格は資格でないよりはあった方がいいでしょうけど、別物です。
たとえ、TOEICが満点だったとしても、会話がかみ合っていないのに気づかない。気づけない。
このへんのスキルはいわゆる外国語「4技能」には入っていませんが、大事です。
「なんか変じゃない、あの日本人?
話が噛み合わないんだけど…。」
相手は「今の受け答え、私の質問の答えになっていないなぁ」なんて思っているかもしれないわけです。
本人は「自分の英語完ぺきだったもんね!」と思っていても、そんなコミュニケーションかもしれないわけです。
英語だけ見たら文法的にも表現的にも正しくても、肝心のシチュエーションに合っていないとか、もっと言ってしまうと、間が悪かったかもしれない、とか…。
KY
空気って読み物ではないと思うのですが…。
日本独特のものと思われている節があるけれど、海外の方がむしろ当てはまるくらいだと思います。
次のようなパターン。
ことばとは直接関係のないマナーの話かとも思われるのですが、
急いでいる相手に、急いでいることにまったく気づかず話しかけてしまい、
「How are you? I’m fine thank you!」
なんてやってしまったりすると、話しかけられた本人にしてみれば、
(私が急いでるのが分からないのかなぁ?)
(でも返事しないと失礼だから返事しなくちゃ、もう!)
と心の中で思っていたりするのでしょうが、
それでも自分に話しかけてくれている人に、
「話しかけてはいけないところを話しかけてしまった!ごめんなさい!」
と思わせてしまうこと、それ自体が失礼なので、当然、やんわりとやり過ごします。
そして、やり過ごされかたが優しいので、急いでいる人に話しかけたご本人は 迷惑だったことに気づかない ことも。
空気を読んだために「特定のことばがおいそれとは発せられない」だけでなく、空気を読んで「さりげなく席を外した方がいい」と察したり、「落ち込んでいるなと思ったら」忙しくても立ち止まってフォローしたり、そういうことを「しなきゃいけない雰囲気」みたいなものは、英語圏でも、いや英語圏であればこそ(じつは英語圏でなくても)間違いなくあります。
外国には本音と建て前はない…
「本音と建て前があるのは日本だけ」
なんて思う向きもあるようですが、
それは違います。
緊急性・必要性
それには、外国に行って人と語り合いたいと思っても、言葉がないと始まらないですよね。だから現地の言葉を学習したいと思うわけです。必要に迫られて。
その必要性がない人に必要性を感じろといっても無理。その必要性を感じるような機会やきっかけを作り出すことはできませんか?兎に角、本質が失われていると思いますね。
それは、単に入力したら現地の言語で出力される以上の体験。それには、その言語に詳しくなっておけば、俄然面白くなる。言葉がわかるかどうか、とは、その言語を話す人たちの文化の豊かさを共有できるかどうか、その岐路に立つ問題です。TOEICの点数とは別の次元にあります。
「形から入る」功罪
そこを見失ってしまうと、なんのために勉強しているのか、なぜ英語の習得が大切なのか、外国語の習得が大切なのか、わからないまま、わけのわからない方向に突き進むことになります。形から入るのも、それはそれでいいと思います。いいのだけれど、本質は自分の中で明確にしておかないと大きく間違えてしまいます。
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ご紹介ありがとうございます。
後半の“噛み合わせ”について、英語教師的には、そこへ意識を向けさせる工夫が大事だろうなと思います。私どものプログラムでは学習者に自分の英会話を録音して聞かせ、自己評価させていますが、その段階で“噛み合わせ”に目が向く学習者は少数です。そこから、コーチの介入を経て“噛み合わせ”を意識できるようになると、ようやくここで里英さんがおっしゃっている意味がわかる、という感じです。そこまで来れば、もともと空気を読むのは得意な人が多いので、会話の質が変わります。ポテンシャルはあるんです。
えみさん お返事が遅れてごめんなさい!ちょっと設定に不具合があって、コメントが送られても通知が来ていなくて今日コメントをAdminページから発見した(発掘?)次第です。
なるほど…。ポテンシャルはあり、学習が進んでくると会話の質が変わるようなカクンとレベルが上がる瞬間があるということでしょうか。
むかーしむかし、の話になりますが、ある先生が学習というものはなだらかな坂道にはなっていない、階段のようになっていて、一段カクンと上がるまでは一見実力が上がっていないかのようなのだ、と。
これが、アインシュタインが言う、失敗とは、失敗して諦めてしまう人とは、自分がどれだけ成功に近づいているか(近かったか)分からない人のことだ、と。
しばらく噛み合わない噛み合わない噛み合わない、で来た人がある日カクンとレベルが上がって「Aha!」(かどうかわかりませんがw)気づく時が来るのかも知れませんね。その手前で諦めたら一生気付かないだろうし。
諦めが悪いことはそんな悪いことなのではないのかも知れません。結局やり遂げる人とは悪く言えば諦めが悪い人。
潔い人、諦めがいい人とは、結局、根気のない、やり抜けない人とも言い換えられるのかも知れませんね。