こんにちは。イギリス在住会議通訳者の平松里英(rielondon)です。
小林麻央さんの訃報を受けて
まず初めに、深く哀悼の意を表するとともに、ご家族の方々へ心からのお悔やみを申し上げたい。
去年から、小林麻央、市川海老蔵、小林麻耶さんと3人のブログを「ゆる~く」ではあるがフォローしてきた。
そんな自分としては、たくさん思い浮かぶ中で、一つだけ挙げさせてもらうとしたら、以下のエピソードだ。
あるテレビ番組で、夫の海老蔵氏が、
Contents
「麻央が子育てで疲れているからデートに連れて行きたい」
と義理の姉の麻耶に子どもたちの世話を頼んだという話。
彼女の闘病について明るみになるよりも前のことだったと思うが、姉妹がテレビに登場し、姉の麻耶がこの話をしたとき、それを聞いた番組出演者は
「へぇ…。」
と、とても意外なこと、珍しいことを耳にしたかのような顔をしていた。
ただ夫の海老蔵から想像できなかっただけかもしれないが、一般的に、
夫が妻を気遣い妻と相談するのではなく自分一人の気配りとして、
子守りをアレンジするということは、今の日本社会では、まだ想像しがたいのではないかと思う。
夫婦で用ができたのでベビーシッターを手配することを二人で相談し、
ベビーシッターサービスを利用することは珍しくなくなったけれども。
うちも子供達がほんとうに小さかった頃、元夫(イギリス国籍)が上記同様に、母に頼んだことがある。
そのとき昭和一桁年生まれの母は、とんでもないと怒り、
「そんなこと聞いたことがない。自分たちで面倒が見られないならなぜ産んだのよ、なぜこどもを作ったの?」
と言った。
これは20年ほど前の話。
そこから少しずつ時代が変わり、夫婦のあり方や、
子育ての夫婦間でのバランス感覚も変わってきてはいるだろう。
しかし、欧米では、子育てと夫婦関係の構築、
つまり親子関係と夫婦関係と両立と言ったら語弊があるが、
はじめに夫婦がいてこそ子供がいるという考え方。
親子関係も夫婦関係も、それぞれ育むことが大切で、
どちらも並行して時間と労力を費やすという考え方が定着している。
それに対し、
日本ではどちらかというと、子供ができるまでが夫婦で、
子供ができたら夫婦はおあずけ、暫くは親としての役割が圧倒的に優先され
夫婦ふたりだけの時間はなくて当たり前、という風潮があるのではないだろうか。
だから、この 海老蔵 の行動と発想にハッとさせられた人は多いはず。
例えば、まだ親になったことがない、子供の立場しか経験していないような若い人。
筆者の母親のように古い世代の人たちや、そんな世代の親や祖父母を持つ人たち。
自分の昔の体験に共鳴する部分があるのは上記の通りだし、
この辺のことが、とくに私にとってはすごく実感を伴うトピックだし、
そういう意味で、自分事だった。
彼女のブログや海老蔵のブログを見ていつも思い出させられるのは、
今の夫と一日でも長く暮らせるように、少しでも長く二人揃って一緒にいたいと思えば、それほど遠くもなくなった将来のことがより切実に感じられて心配にもなる。
決して自分以外の人、見知らぬ人に起きた遠いことには感じられない。
それに、病気に対する恐怖、激しい吐き気や痛み。
検査をするにも治療を受けるにも傷みと不快感を伴うだろうと、
痛みに関しては意気地なしな自分など、想像しただけですぐに委縮してしまう。
彼女のブログのおかげで、以下の投稿を発見した。
外科医の中川祐次郎氏の記事では主に以下の二点について触れている。
1, ラストシーンについての誤解と実際
2, 動揺されるがん患者さんとそのご家族へ
https://news.yahoo.co.jp/byline/nakayamayujiro/20170623-00072448/
これを読んで、少し安心できた。
緩和ケアについてさらに興味が沸いた。
こういう波及効果も彼女が精一杯生きて最後まで貢献してくれたおかげだし、彼女が生きた証だ。
嵐の櫻井がテレビで泣きながら「家族を失った感じ」だと発言していたが、私も知らない人に起きたこととは感じられない。
すごくPersonalな感覚で、まだほんとうに痛い。
やはり他人事ではない。自分事だ。
麻央本人はブログ開設に当たり、人々に自分のことを
「かわいそうにと思われたくない」
と言っていた。
私も、対岸の火事的に「かわいそうねぇ」と話題にされ、
時が経つにつれ
「ああ麻央さん?乳がんで早く亡くなった人ね」
と記憶されたりするのが嫌だったのだろう。
よくわかる。良く考えてみれば、誰だってそうだろう。
癌になるまでの彼女の人生はじつに華麗だった。
アナウンサーになるという夢を叶え、
市川海老蔵という夫を持ち、愛し愛され
二人の子宝に恵まれ、
姉の麻耶をはじめ家族とは仲睦まじかった。
これから何年かして、振り返った時、
死してなお人々の心に生き続ける、
最後まで勇気をもって、
赤裸々に自分をさらけ出したブログ。
これからも人々はブログを訪れるだろう。
そうやって亡き後も多くの人々を支え続ける存在として、
彼女は生き続けるし、やがて語り継がれる存在となるだろう。
今はまだ、心があまりに痛いので、
どうしても 麻央=悲しい になっているけれど、
私も心の底では
「勇気あるなぁ。心が折れそうでもしなやかに生き抜いたのだなぁ。」
と、かわいそうというより、感動している。
人々が嫉妬してしまうほどに、夢に素直で、
やり遂げたことが多い。
ほんとうに実り多き人生だったのではないかと思う。
本人が言うように、彼女の人生は本当に鮮やかだった。
photo: aventa-rises