こんにちは。イギリス在住会議通訳者の平松里英(rielondon)です。
生い立ち
その傍ら、英語発音コンサルタントもしています。
今日はわたしの生い立ちについて。
197X年6月 愛知県名古屋市で生まれました。
生まれた頃の記憶はありませんが、
母から伝え聞いたことによると、
未熟児で生まれ2000グラムくらいしかなく、
70年代なので、今とは違い生き延びれるか心配したそうです。
何度か心臓が止まったりしたようですが、
数ヶ月して病院を退院してからは、
どんどんミルクを飲ませられ、
どんどん大きくなり、というか太っていきました。
わたしが生まれ育った地域は、
名古屋市内でも家からテレビ塔が見えるほど、
中心地から便利の良いところでした。
家には仏壇の他に龍神様を祀るお社と神棚がありました。
霊感のある知り合いがわたしがまだ母のお腹にいた頃に、
龍神様が女の子を欲しがっているので、
お腹の子は女の子だと告げたそうですが、
男の子が欲しかった父はがっかりしたらしい。
母が40歳、父が45歳の時の遅がけの子で、
両親ともに戦争経験者だったため、
他の同年代の子の家とは違う雰囲気のなかで育地ました。
父は戦争中は海軍に従軍しており、
特攻隊の訓練を受けていたらしく、
幸い?自分の番が来る前に終戦を迎え生き延びたが、
生前、戦争中の話はあまりしませんでした。
母は、空襲で友人を無くしているらしい。
そのため生き残った同級生たちとの結束は固く、
戦後70年以上経つ今でも毎年のように同窓会がある。
わたしの場合、
自分の中学にしても高校にしても、
一度も「近々同窓会を開かれる」
などと聞いたことがない。
母の同窓会に関しては
「すごいことだなぁ」
と感心している。
戦時中のとにかく物が無い、
食べ物も無い時代を経験しているため、
団塊ジュニアの中でもかなり厳しく躾けられた。
上の兄や姉(いずれも異母あるいは異父兄姉)
とはあまりに歳が離れており一緒に育っていない。
ほとんどひとりっ子のように育った。
それでも、
大学進学前までは同居していた兄は
彼なりに(笑)わたしを可愛がってくれたらしい。
赤ん坊の頃の思い出で今でも覚えているのはサルのおもちゃ。
ゼンマイ仕掛けでシンバルを叩いた後に真っ赤な目を向くサル。
ものすごく恐ろしくて見るたびに
「ぎゃーっ💢💦」
と泣き叫ぶのが面白かったそうで👊
兄は友人や親戚にその様子を見せて笑いをとっていたようだが、
今でも恨み節を聞かせるほど、このサルのおもちゃはキライ。
逆に好きだったのは、従姉の二番目のお姉ちゃんだった。
三人従兄妹の真ん中の従姉とはまったく気が合わなかったが、
末っ子のお姉ちゃんは帰るときに毎回自分が泣き出してしまうほど、
大好きなお姉ちゃんだった。
この従姉からは、
のちに、わたしの人生の上で、
ターニングポイントとなる刺激を受けることになる。